2月で私の今シーズンは終了致しました。
また来シーズンよろしくお願いいたします。m(_ _)m
終了した模様をレポートします。
レース1本目のことです。まだ3〜4回しか履いてなくあまり慣れていない、ATOMIC GS12 を相棒に、相変わらずのホディー・スタート
でスタートバーをきりました。
スタートしてすぐに、絶好調なようで、2旗門目のポールをくぐる時には、『いけるっ
』と悟りました。
板のトップからテールまで神経がはりめぐらされたような感覚でした。この感覚の表現はどこかで聞いたような.....。そう、昨年のワールドカップ総合優勝のベンジャミン・ライヒが話していた感覚です。
そうです、まさしくあの時の私には、今井さん流に言うと、まちがいなく『ベンジャミン・ライヒが降りて(とりついて)いました』。
ライヒは、賢太郎に勝ったオリンピックでも、明の日本人初優勝を阻んだ志賀高原のSLでも、レース途中で『今日は勝てる』と感じたといいます。あの時私は、
ベンジャミンだったのです。
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2旗門目までは.....。
そして問題の3旗門目
いつもならまったく気にもならないほどのギャップで、内足側(左足)の板のトップがほんのチョット内側に曲がったのに体が反応して(このまま行くと旗門をまたぎそうだったので)、内足(左足)の足首をほんのチョット伸ばして板を元に戻そうとします。
その瞬間
、ベンジャミン・ライヒが私の体から離れていくのを感じました。
そして、ライヒでなくなった私の体は、そのまま左足がポールにモロに直撃〜
。そのまま、空中で前転
。ワールドカップみたいに転倒し、この瞬間、私の人生初の
DFが決定しました。すぐに起き上がったのですが、左膝が痛いわ、ゴーグルは雪で真っ白だわ、登ろうにも距離はあるわで、そのままコースに復帰せずに棄権しました。
その時の旗門員に聞いた話ですが、前走も含めて私が一番スピード出ていたそうです。
普通、3旗門目であんなにスピード出んやろう。あのままゴールしていたら、とんでもないタイムが出ていたでしょう、と。(そりゃあ〜ま〜、あの時の私はライヒだったので.....
) で、あれ程スピードが出てなければ、ポールにぶつかっても、ワールドカップみたいな転倒にはならなかったみたいです。(ポールに当たっても、そのまま板がどっちかにずれて滑っていくから) まして、普段なら気が付かないようなギャップや板の動きに体が反応することも.....。
この時はまだあまり痛みや違和感もなかったので、そのまま2本目も滑りました。ただし、攻めるとまた転倒したらいけないので、攻めないように、ポールに当たらないように、滑りました。2本目にもワナがあり、あやうくまた転倒するところを右足一本で(左足は完全に中に浮いて、右足もテールは浮いてました
)踏ん張って、どね〜か完走しました。
滑り終わった後、なんか違和感がありました。その日はそのまま、痛みを
で麻酔をかけながら
帰り、翌日病院
へ行きました。
MRIの検査の結果、
『左足内側靭帯損傷』。
断裂ではないので、手術はなし。年寄りならこのままギブスで固めるのだが、そうすると、筋肉が落ちるし間接が固まるので、ギブスもなしで値段の高い(15,000円ぐらい)性能のイイ、サポーターをして2週間は膝を曲げないように言われました。
これから復帰まで、地獄のリハビリ生活の始まりです。
今回、唯一得たことは、ベンジャミン・ライヒになれたことです。
ま〜、またなれるとは限りませんが.....。こんどは、ボディー・ミラーになれるといいな〜。
PS. 弟子へ 2本目、靭帯損傷の私より3秒も遅いとは、どういうことですか。
西日本に出場するような選手がそんなことではダメだな。
あまりにも遅すぎます.....。